雲ひとつない青空が広がり、湿度の低いからりとした風が吹く日。
そんな日をわざわざ選び、お部屋の奥にしまっていた大切な箱を開ける。
カビが生えないよう、傷まないよう、一番日当たりの良いベランダに広げて風を通す。
その行為は、ご家族の歩みを大切に思うからこその、本当に丁寧で美しい習慣です。ですが、少しだけ立ち止まって考えてみてください。
その優しいお気遣いが、今のご家族と過ごす休日の時間を少しずつ削ってしまうことにお気づきでしょうか。
晴れた日を待って風を通す、ご家族への深い愛情
アルバムや着物を大切に守る、その丁寧な時間の使い方
お天気予報をこまめに確認し、休日のスケジュールを調整する。
重い収納ボックスを運び出し、ひとつひとつ広げていく。
それは決して、誰にでもできることではありません。
ご両親から受け継いだお着物や、お子様が小さかった頃のアルバム。かけがえのない記憶を美しいまま残したいという、真面目で深い愛情があるからこそできることです。
ご自身の休息を後回しにしてでも、大切な品々と向き合うそのお姿には、心からの敬意を抱きます。
終わらないお手入れがもたらす「時間の余裕」の消失
しかし、その深い愛情こそが、静かにご自身のゆとりを奪ってしまっているのも事実なのです。
横浜市立大学などが2024年に発表した研究でも、「時間が足りない」という毎日の焦りが、お仕事へのやりがいを削り、誰からも取り残されているような寂しさにつながってしまうことがわかっています。
論拠働く世代が感じる「時間が足りない」感覚が幸福感、社会的孤立感、仕事の満足度に関連 | 公立大学法人 横浜市立大学
思い出の品を適切に管理しなければという終わりのないタスクが頭の片隅にあるだけで、ご家族とくつろぐはずのリビングで一人孤立するような感覚に陥ることがあるのです。
さらに、認知心理学における「保有効果」という働きによって、私たちは一度自分の手元にあるものに強い愛着を感じるため、それを別の場所へ移すだけでも、心と体に大きな負担がかかることがわかっています。
お休みのたびに体力と時間を使い果たし、温かいお茶を飲んで一息つく余裕を手放していました、というかつての私と同じ状況に、あなたもいらっしゃるのではないでしょうか。
思い出のお手入れが、今日のシーツを日陰に追いやる不思議なパズル
お部屋の隅で大切に保管する箱の中に潜む、空気の滞留
風を通す日以外、大切な品々はどのようにお過ごしでしょうか。
多くの場合、お部屋の邪魔にならない隅の方や、壁にぴったりとくっつけた棚の中にしまわれていることでしょう。
平成31年の文化財の保存環境学のデータによれば、大切にしまうための木の箱や、棚の接着剤から出る見えない成分が、かえって大切な品物の色を変えたり、傷めたりする原因になってしまうそうです。
また、収納棚を壁に密着させることや床に近い場所に置くことが、空気の滞留による結露を招き、カビの発生要因となることが示されています。
モノを大切にすればするほど、気づかないうちに窓からの光や風の通り道が塞がれてしまう仕組みが、ご自宅の中に生まれてしまっているのです。
手元に置くことへの責任感と、窮屈になっていく生活空間
では、なぜ私たちはそこまでして、ご自宅の中で保管し続けようとするのでしょうか。
日本の生活者が家事などを他の誰かにお願いすることへの実態調査でもわかるように、私たちは家族のための役割を外に頼ることに、「私の愛情が足りないからだ」とご自身を責めてしまうような、強いためらいを感じやすいのですね。
その結果、「この箱にはあの時の大切な思い出が詰まっている」という思いが強ければ強いほど、生活空間が狭くなっても、毎日子どもに「棚にぶつかるから走らないで」と注意して回る窮屈な生活を、家族への優しさゆえに受け入れてしまっています。
今日のご家族が手足を伸ばして笑い合える、床の広さを守るためのお約束が、過去の記憶によって少しずつ破られようとしています。
お天気係を卒業し、ベランダを今の家族のために広く使うという選択
美術館と同じような環境へ思い出をお引っ越しさせる安心感
企業の「戦略的アウトソーシングの研究」(2021年)によれば、自分たちで抱えきれない役割を外の力に頼ることで、家族の限られた時間や体力を、一番大切にしたい「今の暮らし」にたっぷり注げるようになるそうです。
論拠企業による戦略的アウトソーシングの研究 | 早稲田大学 大学院経営管理研究科(PDF)※自動でダウンロードします
文化財保存のための温湿度基準に関する研究でも、大切な品物が傷まないための理想的な目安として、湿度50〜60%、温度10〜20℃前後を保つことが勧められています。
論拠東京国立博物館における展示ケース製作事例からみた展示環境保全の取組み | 公益財団法人 文化財虫菌害研究所(PDF)
快適な温度と湿度が保たれ、大切な記憶が静かに眠るもうひとつのお部屋へ移すことは、過去を遠ざけるのではなく、最も理にかなった保護の形なのです。
お休みの日の太陽を、ふかふかの洗濯物のために使いませんか
かつての私は、よく晴れた休日のベランダを思い出の箱のために占領させ、今日家族が着た服やシーツを日陰に干していました。
過去を美しく保つために、今現在の当たり前の生活を制限していたのです。
このままお天気とにらめっこを続け、ご自身の休日と思い出の箱のためのパズルを解き続けるでしょうか。
それとも、一定の気候で静かに眠れる場所へ大切な品々をお引っ越しさせ、ベランダを今の家族の暮らしのために広々と使うでしょうか。
私はお天気係を卒業し、今日という日に、家族のシーツを太陽の下で思いきり広げて乾かす毎日を選びました。
